僕は多趣味なふりをした無趣味人間な気がしてきた。
好きな事を仕事にするってYouTubeの広告で語るのを見て、そうそうこれだよなって思った10年前ほど、きっとまだ自分のやることなす事が趣味だったのかもしれない。
好きになったことはとことん好きになる。人並みよりはオタク気質ではある。自分の好きなもので生活を成そうと思うとある程度実現できてしまうくらいにセンスを持っている。(自分調べ)
今も好きな事を仕事にするって気持ちは変わらないけれど、仕事にしたらしたでまた趣味がなくなっていくもどかしさ。趣味を仕事に出来るって才能の1つとは思うけど、それでもプロフェッショナルを深めるにはそれらが増えれば増えるほど困難を極める。止まらない好奇心は新たな趣味を見つけて、ある程度習得して、またそれを仕事にしようと思えばそこそこなってしまう。もしかして欲張りなのだろうか。
音楽は好きで続けていたら今では仕事で弾くようになった。
写真は元々自分の目線を知るために始めて今では誰かの為にもシャッターを切るようになった。
映像も頭の中を具現化させたくて始めて今では少しだけど人のイメージを具現化させることもやるようになった。
デザインも自分でそこそこやれるようになった。
なんかこれを見ると色々出来て良いなーって思うんだけど、人々の言う大成するってことには程遠いなといつも感じる。
僕は銭湯が好き。比較的何も考えずに過ごせて心地いい。町の銭湯も豪華なスーパー銭湯もそれぞれ良さがあって好き。そしてこれは趣味。
コーヒーを楽しむことも好き。ペーパーメインで自分でドリップする。それぞれの珈琲店の焙煎やスペシャルティコーヒーの奥深さを勉強しながら、香りや味を存分に楽しむ、そしてそんな時間が好き。
車の運転が好き。いろんな道にいろんなリズムがあって、路面の状態とかすれ違う車だったり、知らない人たちに出会えるようで好き。何より車を運転している時は他に考えなくて良いのも良き。
あれれ、全部無心になれて細やかな違いを楽しめるものばっかりじゃない?今自分で書いてて思ったわ。
いいように書いてるけど、その時間が好きっていうだけじゃない?もしかして、そういう類いの体験が出来るもので見つければいいのでは?
なんだ簡単なことじゃないか。今までハマったものを全て考えたら全部そういうことじゃないか。きっと他の人たちのもそういったことを趣味としてあるんだな。
じゃあ、仕事にしてしまったらこれらの感情も価値観も違うものに変わったしまうのだろうか?
人によってはそういうタイプも多くいて、よく見かける。けれどもそのスタンスを持っているからこそプロフェッショナルとして生きていけてるのも事実。
僕はそういった生き方よりも、好きなものの延長でプロとしてのプライドを持ち合わせながら飄々と世界を少しばかり変えたい。結局多くの人たちが目指しているところと何ら変わらないかもしれないけど、最終的にはこのクマガイのムーブメントをみんなに楽しんでもらえるような生き方をしたいね。
多分、自分の人生を生き抜くことが趣味でもあるのかもしれない。とか上手いこと言えずに今回は締め括ります。
無趣味に生きる趣味な人間の話でした。