Yuya Kumagaiのオフィシャルなブログ

ギタリストやカメラマンやロマンチストなどなどやってる熊谷勇哉による何気無いブログ。

Life is the placebo

THE NAAV-Placeboをリリースしてもうすぐでひと月。

たくさんの方々に聴いて頂けて嬉しいし、曲も喜んでると思います。

リリースに向けて、今回はセルフプロデュースで少しせかせかしながら制作しておりますが、着々と出来上がってますので、どうかやんわり楽しみにして頂けたらと思います。

 

さて、この曲を制作した時の裏話的なものを少し書こうかと思います。

 

皆さんは人生のターニングポイントを幾つぐらい通ったと思いますか?

僕はわりかし定期的にそのタイミングを通過している気がしていて、まさに去年の夏がそれでした。

 

所属していたバンドを抜けて、その仲間たちとも共に音楽をやらなくなってしまい、心のどこかではもしかしたら自分の音楽人生が1からのスタートになるんじゃないかと、仕事としての音楽を続けられなくなる覚悟を受け入れました。

そういった当時の現状を受け入れて尚、僕は音楽を続けたいという気持ちが強く、静かに自身と闘っていたように記憶しています。

幸いお仕事が無くなることはなく、新しい人たちとの出会いによって、今まで生きながらえているわけですが、これは自分自身のお陰とは考えていなくて、僕の音楽を必要としてくれる人たちのお陰だと思ってます。

 

そんな中、もっと自分らしくありたい、という思いを抱きながら迎えた2022年1月1日。「今年の抱負は誰にも忖度しない、自分自身にも」と胸に刻みました。

自分の音楽をちゃんとやるんだ、そう決めた僕はあのPlaceboのトラックを作り始めたのです。

 

All day, placebo

人生は偽薬である

 

自分が今生きてる人生は本当に僕の人生なのだろうか。きっと今までの自分でしか描けなかったものなんじゃないか。

だから僕は今までの自分を少しずつ脱ぎ捨てて曝け出したいことをちゃんと曝け出そうと思ったんです。

自分の憧れる人たちの真似事からでもいい、少しずつ生まれ変わる為に自分がやれる事にトライしよう。

はっきりしたことがなかったとしても、

また今日はぐーたらしてしまった、でも今日は昨日よりちょっと好きな事をした。

今日はなんとなくだけど調子いい日だったな、なんとなくでも良い行いを出来た気がするな。

そんなことでも良いってくらいに、自分を受け入れていく日々でした。

 

近頃は、自己肯定感という言葉が定着しつつありますが、僕はあまりその概念が好きではありません。

誰かと比べて初めて自己肯定感が高い低いとなるわけで、それってそもそも比べる事で生まれてしまう意識だと思うんです。

その誰かが他人じゃなくて“理想の自分”であっても同じで。

本当はポジティブに考えたいけど...本当はそうしたかったわけじゃないのに...そうして自己肯定感が低いという結果に悩まされるんだと思うんです。

 

歌詞の中で、

君は君を 知らなくて良いんだよ

という部分があります。

 

君は君を愛しても良いんだよと言う人はいても、愛せない人たちの行き場のなさは無慈悲にも埋まることはなく、両者の間のとてつもない壁によって断絶されてしまいます。

未来は自分では確認することが出来ない、じゃあその未来は誰も知らない、

それってもしかしたら、どんな自分がそこにいても“今の自分”からすれば、“未来の自分”は常に新しい自分じゃないかと。

だからこそ、知らなくてもいいんだと思いました。

君は君、私は私、誰になんと言われようが、そこに君はいるよ。私もいる、それで良いじゃない。

そんな風に人生を歩んでいきたいと僕自身が感じたことです。

 

この歌詞を書いたのは2022年の初夏、また別のターニングポイントを向かえたぐらいの時、自分を磨くという名の下、知らなかった自分をたくさん知り始めたぐらいの時でした。

 

自分を証明するものが自分の生き方ならば、肩書きや経歴だったりなんてものはちっぽけなものです。

 

人ひとりひとりの人生に幸あれ、Placeboはそんな曲になりました。

決してポジティブな字面だけではないけど、泥臭い生き方しかできなかった自分の見た僅かな光は自分の中にありました。

僕自身であり、僕の音楽であり、僕の未来。

そしてそれは、

君自身であり、君の何かであり、君の未来。

 

共に良き明日にしましょう。

 

 

THE NAAV-Placebo 

Placebo by THE NAAV - TuneCore Japan

 

Love.

f:id:kgygkw:20220805025416j:image