Yuya Kumagaiのオフィシャルなブログ

ギタリストやカメラマンやロマンチストなどなどやってる熊谷勇哉による何気無いブログ。

オアシスは、もう

新幹線で吸うタバコが好きだった。

開閉ボタンを押す度に無機質だけど陽気な音楽が流れるのも案外退屈しなかった。

特別思い入れがあった訳ではないけれど、あの小さな小窓を眺めていると、短編映画のワンシーンの様でいつもより口数が減る。

 

もっと前は座席でも吸えたそうだけど、僕はその時代を微かに覚えているくらいで、小学生くらいの時には禁煙って文字が目に付くようになったのを今でも思い出す。

吸いたくて仕方がないから、というわけでもなく何となく、旅先に向かっているんだなというのをまず初めに感じる瞬間があの狭い喫煙ブースだった。

見知らぬ人同士、肩身狭そうに小声で「すみません...」と話すのもまたいとおかし、最初で最後の会話を「どうも...」ってさり気なく交わしたりなんかして。

お互いどういう目的でどういう職かも知らないけれど、あの空間にいる2、3人の間には暗黙の了解が必ずあって、互いに喫煙者としての立場を励ましたりなんかしていた様にも感じるほどには、皆何処となく顔が険しかった。

知り合いとその場所にいれば、そこに人が入ってくると会話を止めてはまたゆっくりと話し出す。不思議な時間が流れていたんだと今実感する。

 

いざ、新幹線内に入るとルーティンってのは発動するもんでとっさに探してしまうけれど、お前はもうそこにはいない。ハッとすれば、代わりに便所に行きたくなるのは喫煙者のみが自覚する呪いのようなものかもしれない。

 

今、新大阪行きの新幹線に乗りながら記している。正直早く我がオアシスに行きたくて仕方がない。でも、その分こうして記事を書けているのだから良い暇つぶしを得たのかもしれない。

結局の所、たまーに乗る新幹線の喫煙ブースというのが新鮮だったし、無くなったからと言って駅で吸えなくなるわけでもないから、大したことではない。他の喫煙所では体験出来ない何かがあった、ただそれだけ。

僕はその「たまーに乗る新幹線の喫煙ブースでなんとも言えない険しい顔をしながら、実は何を考えてるわけでもなく車窓の先を見つめる人」ってのが大変いとおかしだったので好きだった。

 

きっともう戻ることのない喫煙ブースに想いを馳せて。いやいや、これで良かったんだと思う。

タバコを好きで吸ってる人間のみが知るこの情緒溢れる瞬間はこれからもっと無くなっていくかもしれない。

でもきっとこの感覚は忘れることはない気がする。旅人であり続ける限り、また別のところに見つけられるそんな気分。人生の暇つぶしと言うにはそんな大層なものでもないんだけれど。

 

ああ、早く着いて1本吸わせろください。

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