Yuya Kumagaiのオフィシャルなブログ

ギタリストやカメラマンやロマンチストなどなどやってる熊谷勇哉による何気無いブログ。

心の花瓶

もう自分の周りにSNSをやってる人がいない。

っていうのは嘘になるけど、この頃はAIのアルゴリズムなのか全く知らない人たちとよく知る人たちしか画面に出てこない。

どこに行ったんだろうか皆、元気に暮らしているのだろうか。よく見る人たちは元気にライフスタイルを提示しているし、同業だったりクリエイターも多いし、いいねって思うことも多々ある。

だがもしも自分がこういった職業をやっていなかったら、きっと昔の友と同じようにネットから消えていると思う。

多分、誰かにとっては私がそっち側なのだ。

 

私は本来インターネットが向いていない。

そんな気がしている。基本的に仕事の内容だったり自分のプロジェクトだったり、それ以外を公開していない今。簡単なプロフィールしか見せてない気がする。

あの頃遊び半分でやってたSNSも今は自分のブランディングのツールの1つだ。自分がどこにカテゴライズされるかも自分で”選んでる“つもり。いや、”選んでしまってる“のだ。


でもある時ふと思った、昔の友は今の俺をどう見てるんだろうと。

きっと対面で会ったら、変わってないっていう気もする。きっと昔よりも音楽で生きてるって思われてはいると思う。どっちも事実だ。

しかし、SNSでいつも見てるから久しぶりな気がしない、と言われるとそれは共感できない。

私は見れていないから、連絡が来るまで私の久しぶり!は更新されないのだよ。そしてまた、SNS更新してよとも思わない。

そういった会話が発生すると、得体の知れぬ寂しさがじわじわと心を蝕む。相手が悪いわけではない、時の流れ方が違うのを目の当たりにしてしまうからだ。

 

それは実のところ、多くの友人たちも同様だ。自分の更新が落ち着くと、誰かの活動が目に入ってくる。すると不思議と同じ1週間でも誰かの投稿は1ヶ月の量に感じたり、2日の量に見えたりする。きっと何かが澱んでいるのだろう。

時に心の花瓶から溢れ出る水が濁っているのに気付く。新しく入れ替えないと元気の苗は萎れてしまう。みんなあるよね、こういうこと。

だからこそ、メッセージだったりリアクションをくれる人たちは大事にしたい。励ましもツッコミも、全てが自分の生きる理由の1つになってる。

今の自分は今しかいない、と強く感じさせられる。

 

私は今のあなたたちを知りたい。元気に過ごしているだけで私も良い人生にしようと鼓舞される。美しい花を咲かせよう。例え歪に咲いてもいい、精一杯過ごしているその日々が紛れもなく美しいから。

 

2024年、”選ぶ“事をやめようと思う。

ありのままのクマガイユウヤをその都度そこに置いていこうと思う。

誰かの無意識に蝕まれず、誰かにとって何かのきっかけになれるといいなくらいのマイペースで行く。ネット向いてない気がするなりにね。

 

世界よ、どうぞお手柔らかに。

This is new Kumagaism.

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記事を投稿しました

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さて、やってまいりました。不定期投稿過ぎるオフィシャルブログ執筆者ことクマガイです。

今回の話題は特に無くて、とにかく文章を投稿したいという不純な気持ちで書き始めました。この記事の行先はいかに!とまあかなり調子の良いことを言っているイントロダクションではありますが、文章を書く機会があったのでその気運が高まっているのです。じゃあ何か書きたいことがあるかといえば、めちゃめちゃある。前回が去年の初夏で止まっているからね!そりゃもうたくさんありますよ。しかし有難いことに色んな事に取り組ませてもらっている間にそちらに夢中になってしまったんですね。あれもこれも素敵なことばかりの2022年でございました。

さて、と言ってみたものの、ここまで300文字くらいを無駄にしている割にはただの世間話で、かつ何かに繋がる気配を残して何も無い。すみませんね、次からちゃんと書きますから!次から!っていう割に3日坊主になるのもすでに見えてますよね。宿題はギリギリにやるタイプ、否、やれないことのが多い者でしたんで、一周回って開き直っちゃうわけです。そんな開き直りを始めた矢先の文字書きはものすごいもので、あれよあれよと軽々書いてしまったのです。文章書くのって楽しいというランナーズハイによってアドレナリンが爪の間から滲んで滲んでたまらんのですよ。するとどうです、今も500字を過ぎた辺りなのに一向に本題に入らず、我が物顔でそこのけそこのけお熊が通るのですよ。こりゃもうこのブログに辿り着いた人たちは遂にいかれちまったかと!大丈夫、安心してください、初めからです。まともならこんな文章で話題転換の一つもないまま書けないでしょうに。そもそもどうしてこんなことをしてまで文章を投稿したかったのかって?きっかけが欲しかったんです。自分がブログを書くことが好きなのについついサボってしまうというか、とにかくどうでもよくなってしまう。そういう事ってみんなもありますよね、これやらなきゃあれやらなきゃ。やらなくても問題ない事ばかりやりたいなーなんて思ってしまったりしますよね。それをここでやってるだけです、っていう記事を投稿しただけですっていうね、

今回の記事の10倍の文字数を今朝書き上げました。近々お知らせできると思います。

 

そしてこのブログも緩やかに正式に稼働させていきます。

それではクマガイユウヤ(23'ver.)でした。

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Life is the placebo

THE NAAV-Placeboをリリースしてもうすぐでひと月。

たくさんの方々に聴いて頂けて嬉しいし、曲も喜んでると思います。

リリースに向けて、今回はセルフプロデュースで少しせかせかしながら制作しておりますが、着々と出来上がってますので、どうかやんわり楽しみにして頂けたらと思います。

 

さて、この曲を制作した時の裏話的なものを少し書こうかと思います。

 

皆さんは人生のターニングポイントを幾つぐらい通ったと思いますか?

僕はわりかし定期的にそのタイミングを通過している気がしていて、まさに去年の夏がそれでした。

 

所属していたバンドを抜けて、その仲間たちとも共に音楽をやらなくなってしまい、心のどこかではもしかしたら自分の音楽人生が1からのスタートになるんじゃないかと、仕事としての音楽を続けられなくなる覚悟を受け入れました。

そういった当時の現状を受け入れて尚、僕は音楽を続けたいという気持ちが強く、静かに自身と闘っていたように記憶しています。

幸いお仕事が無くなることはなく、新しい人たちとの出会いによって、今まで生きながらえているわけですが、これは自分自身のお陰とは考えていなくて、僕の音楽を必要としてくれる人たちのお陰だと思ってます。

 

そんな中、もっと自分らしくありたい、という思いを抱きながら迎えた2022年1月1日。「今年の抱負は誰にも忖度しない、自分自身にも」と胸に刻みました。

自分の音楽をちゃんとやるんだ、そう決めた僕はあのPlaceboのトラックを作り始めたのです。

 

All day, placebo

人生は偽薬である

 

自分が今生きてる人生は本当に僕の人生なのだろうか。きっと今までの自分でしか描けなかったものなんじゃないか。

だから僕は今までの自分を少しずつ脱ぎ捨てて曝け出したいことをちゃんと曝け出そうと思ったんです。

自分の憧れる人たちの真似事からでもいい、少しずつ生まれ変わる為に自分がやれる事にトライしよう。

はっきりしたことがなかったとしても、

また今日はぐーたらしてしまった、でも今日は昨日よりちょっと好きな事をした。

今日はなんとなくだけど調子いい日だったな、なんとなくでも良い行いを出来た気がするな。

そんなことでも良いってくらいに、自分を受け入れていく日々でした。

 

近頃は、自己肯定感という言葉が定着しつつありますが、僕はあまりその概念が好きではありません。

誰かと比べて初めて自己肯定感が高い低いとなるわけで、それってそもそも比べる事で生まれてしまう意識だと思うんです。

その誰かが他人じゃなくて“理想の自分”であっても同じで。

本当はポジティブに考えたいけど...本当はそうしたかったわけじゃないのに...そうして自己肯定感が低いという結果に悩まされるんだと思うんです。

 

歌詞の中で、

君は君を 知らなくて良いんだよ

という部分があります。

 

君は君を愛しても良いんだよと言う人はいても、愛せない人たちの行き場のなさは無慈悲にも埋まることはなく、両者の間のとてつもない壁によって断絶されてしまいます。

未来は自分では確認することが出来ない、じゃあその未来は誰も知らない、

それってもしかしたら、どんな自分がそこにいても“今の自分”からすれば、“未来の自分”は常に新しい自分じゃないかと。

だからこそ、知らなくてもいいんだと思いました。

君は君、私は私、誰になんと言われようが、そこに君はいるよ。私もいる、それで良いじゃない。

そんな風に人生を歩んでいきたいと僕自身が感じたことです。

 

この歌詞を書いたのは2022年の初夏、また別のターニングポイントを向かえたぐらいの時、自分を磨くという名の下、知らなかった自分をたくさん知り始めたぐらいの時でした。

 

自分を証明するものが自分の生き方ならば、肩書きや経歴だったりなんてものはちっぽけなものです。

 

人ひとりひとりの人生に幸あれ、Placeboはそんな曲になりました。

決してポジティブな字面だけではないけど、泥臭い生き方しかできなかった自分の見た僅かな光は自分の中にありました。

僕自身であり、僕の音楽であり、僕の未来。

そしてそれは、

君自身であり、君の何かであり、君の未来。

 

共に良き明日にしましょう。

 

 

THE NAAV-Placebo 

Placebo by THE NAAV - TuneCore Japan

 

Love.

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2020-2022

暫く家を空けていると、その前を通りゆく人がたくさんいたようだ。何かをしたためていれば良かったものの、全てものづくりに没頭していった為に2年くらい時間が経っていた。

 

この数年で私の状況は大きく変わった。去るもの来るもの多く、それは決して悪いものではなく、只ひたすらにそれぞれの人生が進んでいっただけであって、不思議なことにまた再会する人も多いこの頃。

私の人生も面白いことに大きく変わっている最中であって、それは一つや二つではない。

何かを手にしたかったあの頃を可愛く思えるようになった。

野心はまだ燃えたぎっている。挑戦に怯えなくなった。全てが自分を作り出すものに感じて新鮮に思えるようになった。

 

頭の中のフィクションはいつだって現実に結びついている。友人はフリーランスになって今頑張っている。また別の友人は自分のやり方で素敵な事をやり続けている。そして私はそんな友人たちと成長したいと思っている。

フィクションをノンフィクションにするのが最高の楽しみになった。

 

このブログにたどり着いた人はきっと、一緒に素敵な景色を見て行きたいと思ってくれる人たちだと願っている。

今年はTHE NAAVのEPを作る。まずはそこから頑張ろうと思う。

そろそろたまには家に帰るとしよう、作ったものを引っ提げてね。

 

まずは2年前に作ったものを置いてこうと思う。

良かったら聴いてね。

https://linkco.re/RP3FhhTC?lang=ja

 

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僕のギターヒーローの話

DEAD ENDのギタリスト・足立“YOU”祐二さんの話をします。

 


彼が空に旅立った事を知ったのはDEAD ENDの公式ホームページでした。

 


僕にとってDEAD ENDというバンドは、自分の音楽人生を語る上でなくてはならない音楽の一つです。

幼少期から家で流れていたその音楽は僕にとって日常でした。そして、年月が経ちギターを始めた頃にYOUさんの独演会を観に行きまして、ソロアルバムの中から数曲の演奏が行われ、心が躍ったのを鮮明に覚えています。

ライヴ後に直接お話しできる機会があり、その時に僕は「どうやったらYOUさんのようにギター上手くなりますか?」と聞きました。今思えば、当時始めたばかりの僕は何かヒントだったり、向上心を見せようとか色々いらん事を考えてたんだと思います。

するとYOUさんは少し笑いながら「練習だね」と答えました。そんな返答に僕は何も言えなくなってしまい、ちょっぴり恥ずかしくなりました。

 


MORRIEさんのソロプロジェクト・Creature Creatureのライヴでゲスト出演したYOUさんの演奏を一度見ていましたが、登場してから場の空気が一瞬で変わり、演奏したら電撃が全身を駆け巡ったのを覚えています。確かパラダイスだった記憶。

それから少ししてDEAD ENDが復活して、高校生になる前くらいだったか、バンドの新しいサウンドに魅了されていきました。

 


最近の個人的な話ですが、自分が関わった中のとある曲がDEAD ENDのEmbryo Burningにインスパイアされて作りました。

 


今でもあのサウンドに魅了され、そして自分なりの音楽のあり方に繋がり、僕をいつまでもキッズにさせてくれるYOUさんに無念の気持ちで一杯です。そしてありがとうございました。

 


ご冥福をお祈り申し上げます。

空腹はアルコールでは満たせない

空腹が訪れる。満たしに出掛けようかと思った時に限って面倒臭さが頭から体に伝う。どうしたものかと思えど、時計の針が音を鳴らすのを黙って聴いている。限界が来てしまったのでふと我に帰り冷え込んだ街に出向いては、どうして歩き始めてしまったのだと考えなくてもいいことで頭を満たす。その間も腹から静かに悲しみの声が骨を伝って鼓膜を揺らすのである。

面倒な気持ちというのは金縛りのように身動きが取れなくなる。金縛りというのは医学的な根拠があるにしろ、スピリチュアルな面でも様々に語られることの一つだ。意識があるのに身体は言うことを聞かないなんていうのは、日常では起こり得ないからこそ。信じてやまない事が裏切られる瞬間というのに人はその場でジッとしている事しか出来ないのである。

先日、ふと目が覚めて身体が動かない事に気付いたのだが、なんとなく金縛りが強まるのと弱まるのを感覚的に悟ったので、どうやったら解けてどうやったら続くのかゲームのように楽しもうと思ってしまった。すると不思議なことに幽体離脱の話を思い出した、もしかしてできるんじゃ無いかと。オカルトな人の動画を見ていたら皆口々に方法を語っていて、なんとなく試せるんじゃないかと日々思っていた矢先の今、これを逃したら次はいつかも分からない!とかさらに楽しくなってきてしまった私は早速実行しようとした。

 

出来なかった。

 

気付けば朝日が差し込んでいた。知らぬ間に眠ってしまったようだった。起きてみると身体は疲労感がありなかなか良い気持ちがしなかった。今度金縛りになったら速攻で解いて寝ようと心に決めた。

 

朝起きて新聞を眺めていると今日も緊急的な見出しが目に入る。毎日話題に上がるのは同じ話ばかりで状況は悪化しているような印象ではあるが、どうもおかしいなと常々引っ掛かっていた。おかしな方向に進む一方、そうせざるを得なかったと言わんばかりの道のりに私はどこかで冷めていった。

 

外へ出ると入荷した品薄商品に一斉に群がっていく民衆の姿を見かけた。必死さの中に醜い欲求が渦巻いているのを感じて反吐が出る。こんな時ばかり、あなた方が口々にマイナスな言葉を吐き出す場所で生産されているものであっても、何かに追われるように買っていくのである。そもそも見てないからなんとも言わないのであるけれども。普段からその場所の人々にそんなふうに思うことも言うこともない側の人間はとてもジレンマを感じてしまう。

 

クルーザーが帰還して以降、飛行機が帰国して以降、絶えない情報と増えるばかりの不安材料によって今日も多くの人々は金縛りにあっている。二転三転する情報によってコロコロ変えていき、とにかく来るかもしれない最悪の事態に怯えながら、想像を働かせては何かを見失っているのである。私にとって予言や憶測や煽りや矛先など全てどうだっていい。自分たち国民の総意として選ばれた上級国民にうだうだ言っている暇はない。私たちはもう無意識の深い金縛りの中にいる。自ら解こうとしなければいっこうに何も視界は良くならない。面倒だとさえ感じる暇をも与えられてないなんて愚かではないか。

 

私は渦中にいる。一人の存在では何も変えたりは出来ない。そしてまた私も未だに金縛りにあっている。どんなに考えていっても解けることのないこの日々に必死で食らい付いていくしかないのだと思う。

様々な面で不謹慎が横行しているが、一番不謹慎なのは無知なんじゃないか。少しでも無知から脱却したいが為に状況を把握し、現実を見つめていかなければならない。

とかいうそんな私も不謹慎の中の一人なのだろう。

 

さて、真夜中に定食を食いに行くとしよう。

 

 

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正しい街で

正しい街かどうかは誰に聞いても曖昧だ。

自分にとって合っているか合っていないかなんて、自分さえも分からないもの。ただ皆口を揃えて発するのは人工ウイルスの話題とかなんとか、同じ会話は繰り返されては消費されていく。マスクはしたって意味ないが飛沫感染防止の為には重要、でも多くの人々はマスクが単に必要と煽られるがままに買い占めては、乗り遅れた人たちの不安と苛立ちをも買う。

 

冷静に考えて文明の力を我々令和民は所持しているではないか、スマートフォンで様々な情報を手に入れてはそれを確実に整理してリアルタイムを生きることが出来る。はずなのに、多くの人々は上辺の情報に怯えてる割には非現実に感じている。

 

オリンピックの頃までには終息に向かえるのかどうかは誰にも分からないけれど、正しい街であるにはもう遅すぎる。私は未来のこの大きな土地に何らかの時代の終わりを感じると共に、その先が見えるようになるのはいつの話になるのかと思う。オリンピックが本当にAKIRAのようになっていくのを今、文明の力を通して、その陰が巨大なのを強く感じる。

 

例え平穏に終わったとしても、日本の歴史年表にSARSの記載があるように一行で片付けられる日がまた来るのだと感じてやまない。我々令和民は、いや人は、そういう生き物なのだとリアルタイムで痛感する。

そういう者の中で私たちは闘っていかなければならないことに嘆き悲しむのは辞めなければならない。

己にとっての正しい街はそこにありますか。そこになければいけないのだと私は考える。いつの日も。

 

 

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