今日はいい日だったなと思う時っていうのはきっと幸せを噛み締めているんだけど、心のどこかで早く切り替えたい気持ちが沸き起こる。
心の中で天使か悪魔かは分からないけれど、もう一人の僕が静かに語りかけてくる。どんなにハードにタイトに暮らしてても怠けたい気持ちは顔をしっかり覗かせてくるので出来ればそいつが遠くの曲がり角を曲がる前に巻かなきゃいけない。
とはいえ、噛み締める気持ちは無ければもっと悲惨で、切り替えがとにかく大事だと思ってる。
天使と悪魔の僕が現れるのはいつだって醜い姿になっている時だと思う。愛したいものを愛し、守るものを守る、そういったことが素直にできない時、自分の未熟さを思い知る。
バナナマンの日村さんが最近よく怒ってしまう(イラっとしてしまうだったか、、、?)というのに対して、設楽さんがそれはそのことに対する心のストックが無いからというのがたまに思い出されるのだけど、僕はアウトが怒りではなく自身に対する懐疑に向かっているだけなのかもしれない。
天使と悪魔っていうのはずいぶん都合のいい存在で、そいつらに任せてしまえば大体のことが面白おかしくなる。あいつらはどうも適当で思いっきりがいいし、時にうだうだしていて僕が思いっきりよくなれる。
漫画のように突然現れては、こっちにしてしまえと悪魔が囁き、こっちにしてはダメよだって○○だぞって天使が入ってくる。
もうこの時点で僕は面倒くさくなる。
そうなんだよ面倒くさい。
面白いくらいにあいつらは助言してくる。
ただただお節介だし、そんなん自分で決めるわってなるだけでなく、何を悩んでいたのかってなる。そこで天使と悪魔を召喚している自分も面倒くさいって思うし、尚更サッパリした判断になる。
全て3秒の出来事である。
ダンブラウンの描いた世界観に引き摺り込んでもまた面白いけれど、それにはダビンチが必要になるからそれも面倒くさいし、渡航する面倒臭さもある。
段々と素直になっていった方が世の為人の為己の為になり、それが良いじゃんとなる。
今日の幸せは今日しか訪れない。だったらそれはちゃんと噛み締めて、忘れないように、そして欲にまみれず、精進料理を食す時のように旨味と感謝だけに想いを馳せて行けば良いじゃないか。雨にも負けず風にも負けず的な精神で暮らして行けたらと考え始めた時点で日は跨ぐ。
こうして明日が今日になってしまったらまた今日の幸せを見つけていこうと思うのがルーティンになりつつあるのは、この歳だからであろうか。
未だ夢の途中なのでまた眠りについてその続きを見に行きたい。
悪魔も天使も眠ってしまう間だけ、自分は自由になれるのだから。