Yuya Kumagaiのオフィシャルなブログ

ギタリストやカメラマンやロマンチストなどなどやってる熊谷勇哉による何気無いブログ。

DROWN

私は夢に溺れている。

太平洋のど真ん中を泳ぎ続けている。どんなに泳ぎ続けてもそこは真っ青な海のど真ん中で、時々力を抜いてゆらゆらと漂っている。空は水色で、絶えず雲が変化し、僕を置き去りにしては消えてゆく。

小さい頃、雲の上を歩いて行ったらどこまでも知らない場所に行けると思っていた。だが実際には水蒸気の集まりで、するりと抜けてしまうと知った時、現実というものを知った。どうして世界は飛行機なるものを作ったのか、どうして船なるものを作ったのか、その時に分かった気がした。

鳥たちは大海原を知っている。それは私たちの想像を遥か超えるところに存在し、全ての生き物を凌駕する寛大さと不寛容さを持ち合わせている。世の道理に反したものは生き残れないばかりか、食物連鎖の制裁を直ちに受ける。海を渡る彼らは止まることを許されておらず、知らぬ間に体がそうしている。まるで目指す場所がそこにあるとわかっていてそれが行われている。

私は大海原に抱かれ、そして溺れている。

海の中に入ってしまえば二度と地上の空気を吸うことができない。怖いのだ。私は、その縁をずっと漂っているから、怖いのである。海の深さは底知れず、いつ力尽きてもおかしくない今、この海を漂えば漂うほど尋常の精神は確かなものか疑わしくなる。それでいて生きている実感を感じずにはいられない。陸を求めて進化した先にヒトがいるのだとすれば、今の私は何でもない存在、何にだってなり得るのである。今日も私は何者であったかを探しては終わりの見えない場所で遠くの水平線を目指して泳いでいるが、果たして正解はどうだろうか。

これが夢の中だったらどんなに良かっただろうと、仰向けで漂う私は生まれては消えてゆく大きな雲を見つめて静かに涙する。一滴、二滴と頬の横を伝い、その涙は海の色を変える。変わったのは海ではなく、本当は私なのであるが。

その滴は魚たちがプランクトンと共に体に吸い込んでしまい次々と他の魚たちに知らされ、何者でもないもの涙を神秘的に感じる。あれはどこかの世界では涙というらしいと。

鳥たちは涙を知った魚たちを餌にして食べてはまた涙の神秘に寄り添う。これは涙というらしいと、でももどこから生まれたものかなんて知りやしなかった。それでも鳥たちはどこかを目指して海を越えてゆくのである。

私は泳いでは漂い、涙を流し、無慈悲を知る。どんなに頬を伝い知らせても孤独はそこを離れようとはしない。この大海原は赦しはしてくれないのだった。しかしながら、今日も青い空は私を大地のように抱き上げ、雲のパレードで歓迎してくれる。だが、まだ私はどこにも受け入れてもらえていない、何者でもないものとして太平洋を漂っている。

私は夢に溺れている。

夢がどのようなものでどのように崩れていくか知らないまま。それでも夢の中では生きながらえている。

果てしない大海原に抱かれながら。

 

 

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