Yuya Kumagaiのオフィシャルなブログ

ギタリストやカメラマンやロマンチストなどなどやってる熊谷勇哉による何気無いブログ。

STEREOTYPES

アプリケーションだけで繋がるということが常識になっている昨今、ステレオタイプな部分がある自分にとって、本当は大きく差があるはずなのに現実との差異のなさに困惑することがあった。気軽にコンタクトを取れるということはとても素晴らしいことであるけれど、世の中の多くの人がジャスティン・ビーバーやピコ太郎のようにどこかでピックアップされるのを期待し、そして待つことに慣れてしまっている。彼らはどういう心境でピックアップされたかは知らないけど。

ステレオタイプな人にとってそういう人々を視界に入れることは環境として認識する。そして傾倒してゆく。そんなのは懲り懲りだと思った。

 

最近あらゆるネット上の戯言を遮断した。隣の芝生は青いもんで、皆そう思ってる。ただ実際は皆同じなんだというのはよく言われることではあるけれど、そうなるとあの青さは時に暴力のように感じる。おかげでタイムラインは皆同じ色をしていて好きな人たち以外のそれらは美しくないSwirl柄となって最後は私の脳内で混ざって一色になる。遮断したとは言っても自分の活動的には必要になってくる時があるので完全ではないが、今までどれだけ情報に埋め尽くされていたのかを実感した。

 

今自分が何をしたいかが明確になるに連れて、プライベートな領域で必要不可欠なものではないことも良く分かった。すると不思議と今まで「後で見る」に入っていたリストが見れるようになった。興味関心があるものが明確になり、そのまま世界が広がっていくのを感じた。

刹那を生きていた事を知った。”いつか“が”いつまでに“に変わっていくことの面白さの中で私は新しい試みに踏み切ることが増えた。以前、理想の人間像を追求することをどこかで言った気がするが、今はそんなものは準備段階でしかなくて、常にそれが進化していくということに快感を覚えた。

 

抑えていたものが解き放たれたようにありとあらゆる事に喜びを感じ、新しい価値観と共に小さな船で次の目的地を目指す、未だ旅の途中なのだと胸を張って言える。人生の広義な意味合いとして音楽という第二言語を獲得する事に勤しんでいたわけだが、第三言語を選ぶ余裕が頭の中に出来たような、視界がすっと開けてゆくような、とても素晴らしい瞬間を私は生きていると感じてやまない。

20ヵ国語を話すSteve Kaufmannはとあるインタビューの中で言語を獲得してゆく事で体系のみならず文化や理解を深める事に繋がり、それだけでなく自身の脳を刺激し思考を柔軟にさせることができ、それが人生となる事を語っている。私にとって音楽との出会いも写真との出会いも全てが美しく素晴らしいものであり、それが自身の手で輝かせる事が出来て、それでそれらが私という存在のアイデンティティとなる。

孤島に辿り着いたとしても私が生きている事自体が賛美されるべき事なのだと感じられるようになってきた。例え私の生き方は泥臭く醜いものだとしてもだ、多くの人々は道に惑いこれこそが私の生き様だと言い聞かせているのだから。

 

凡人には凡人の、天才だと思う凡人には天才だと思う凡人なりの戦い方がある。Change upを最後まで投げ続けるべきなのであると改めて思うこの頃である。例え打席で空振り三振が続いてもだ。

 

 

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