Yuya Kumagaiのオフィシャルなブログ

ギタリストやカメラマンやロマンチストなどなどやってる熊谷勇哉による何気無いブログ。

眠れぬ夜の子守唄

眠る前に今日のことを振り返る。手足が寒くなってきたので布団に突っ込んで壁にもたれる。何気ない事を喜び、小さな反省を真摯に受け止め、手足が温まり始めたらお休みの合図だ。

今日も一日、自分をゆっくり新しく、そして一歩前に進んではまた一歩下がってしまうけれど、大事にしたいことを大事にしていくことで、いつか自分の中の大きな何かになっていると期待をしながら、小さな私を温める。自分だけの今を、いつか誰かのための今に出来る様に、と。

 

今まで私はどんな事にも期待をし過ぎず、求め過ぎず、それでいて好きにやってきてしまったけれど、そんな風にやっていくのは飽きてしまった。というより、自分の首を静かにゆっくり締めていたのだと気付いた。最近の創作活動は専ら内省的なところから湧き出るものが多いのもその為だろう。ありとあらゆるものがその様な自分に、その様なあり方に作用してしまっていて、見失っていた様な気がした。

それと同時に、このような状況は私だけに起こっているというわけもないのだと気づく。多くの人々は誰によって仕向けられたわけでもないのに知らぬ間にその状況で生きながらえているのだろう。不透明な苦しみと不透明な行いによって日々を送っているのだと思う。決して後ろ向きな意味ではない。こうするしかないくらい、日々は待ってはくれないのであるから。

私は、そういった状況というのはひりひりとしていて刺激的な事だというのも今になって理解した。案外悪くないものである。ただ、それは連続させてはならないというのも理解した。

 

書物を読んでいると自分自身のコンセプトが少しずつ見直され、行いに反映させる為の準備が整う。その時の気分によって心地良い場所があるから、今日はどこでコーヒーを飲もうか想いを馳せて、店内のBGMがその気にさせてくれるからとゆっくりと時間が進むのを待つ。そして、ページを開けばそこには宇宙への旅が待っている。小旅行にしては気長でいなければいけないがそこに来てしまえば関係ない、ただひたすらフラットな関係になっていくのを感じるだけである。

ふと気付けばだいぶ時間は経っているもので、この時期はあっという間に日が暮れてしまいそうになるから、夕日を追うようにその場を後にしてブレイクを挟む。こういう日に限って毎日こんな風に出来たらなあと思ってしまう。多分、そんなもんなんだろう。すっかり肌寒くなってしまった、ふと、冬が来たんだね、と聞こえてきた。

 

今日も一日、自分をゆっくり新しく、一歩前に進んでいるか、はたまた一歩下がってしまっているかなんて今は分かりやしないのだけれど、大事にしたいことを大事にしていられているだろうか。いつか自分の中の大きな何かになっていると、小さ過ぎない期待を胸に、小さな私を温める。

 

一杯の水を飲んで、少ししたら温まりきった寝床に帰ってゆこうと思う。

そして朝を迎えられる喜びを 1日の始めの喜びにしようと思う。

 

 

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