良いものとの出会いは人生を急激に加速させる。それは例えお金にならなくとも人生の財産となる。
世の中は金か愛かなんていう人もいるけど、僕は知ってる、そんなことを言う人達は金も愛もどっちも知っちゃいない事を。
僕はロックを聴く、君がロックを聴いていなくても。僕は薔薇の花が好きだ、あなたがマリーゴールドが好きだったとしても。そんなことは僕の人生にとっちゃなんの障壁にもならない。
愛されたい、ということの総意は人が生きているうちに満たされることはない。
僕らが愛を叫ぶ、の愛とは少し違って、愛されたいことの全ては自分の不完全さであったり、空しさであったり、人は皆それを騙し騙しで共に生きている。
死ぬまで自分の不完全さに悩まされ、それでいてそれが愛しく感じる。
「誰かを愛すことだって本当はとても簡単だ」って好きな人が言ってた。それはふと思い出して最近になってその意味が少し分かるようになってきた。いや、わかるような気がするってのが近い。
死ぬまでワクワクしたいわーって漠然と感じてた頃とは違って、考えることも増えて、時間もなくなっていくし、とにかくなんでも現実味を帯びてきている。それでもその気持ちを諦められないし、大きく変わらぬ毎日に期待する。もう少しだけ、もう少しだけと少しのわがままを添えて。
僕らはいつまで経っても学べない。欲望というのはすべてのものに勝る。だからこそ真に純愛など存在しないはずなのである。ドラマの中でも描かれるように山あり谷あり。
それでも譲れないものを持っている人が純愛の証を手に入れられるとしたら、僕らが思っているよりも我慢が必要だ。
どんなに憂いでも、どんなに幸福感に満たされてもお金は増えやしないし必要以上に減ることもない。
愛はどうだろうか。憂いでも幸福感に満たされてもその人にとっての愛の形は変わらないんじゃないか。誰かにとっての愛は歪んでいて、誰かにとっての愛は至上のものなんだから、そりゃ捉えようもないけれど、当人が一番分かっているし、おそらく本人的には全く分かっていない。
愛に関わらず、みんな同じように分かってはいないのだと思う。
全ての愛に賛美を。
愛に価値の差なんてあるはずないし、ましてやそれぞれの愛はただ一つだけなのだと自分は信じてやまない。なんなら自分自身を一番愛しているし、あなたにもそうあってほしいと少しのわがままを添えて。愛をLoveではなくてyouでも日常でも自分自身とでも訳したっていいじゃないか、自分の人生が豊かになるのならば。
全ての愛に賛美を。