Yuya Kumagaiのオフィシャルなブログ

ギタリストやカメラマンやロマンチストなどなどやってる熊谷勇哉による何気無いブログ。

ユートピアに恋い焦がれて

Missy Elliottが1stAlbum「Supa Dupa Fly」を作る際に他の流行の音楽をシャットアウトした状態で制作したらしく、正確に言えばシャットアウトが出来る環境だったというのが大きかったそうだ。1997年リリースのこのアルバム、時代は携帯電話がようやく小型になってきて、インターネットもようやく世界規模になって普及が加速し始めたような時代。今聴けばあまり大きな違和感を感じはしないけれど、確かに相当面白い試みが行われていたんだなと思う。

 

今コンテンツも増えて個々が好きなものを手を取りやすくなって、そしてまた、好きなものをを手放し捨てることも容易になった。

ものが増えれば増えるほど使わないものは増えるし、大掃除すれば大概のものは捨てるか思い出に浸るか、そうやって塗り替えられていくのを無意識に行っていく。

同じようなコンテンツの中で小さな差を競合い、そうするとまたそれを取り入れたものでより小さな差を生み出し、気付けば違いなんて誰にも分からなくなってどれでもよくなる。

 

この頃“どれでもいい”が増えてる。憧れの生活も、食べるものだって、かわいいもかっこいいも、なんだって“どれでもいい”に溢れてる。

時代特有の匿名性が人々の一部を蝕んでいるというか、現実との境目に理由がないまま成ってしまっているという感じだろうか。そして外から見れば空しい事、も当の本人はそこそこ満たされているというのもまた救いようがない。

 

僕もまた沢山のものが何十箇所に溢れてる豪邸に住んでいるようなうちの1人で、これまた救いようがないなーと自分で思う。

ペルシャ絨毯の上で長いテーブルにロウソクのインテリア、高級な椅子が並ぶ中、朝食は味噌汁とパックの納豆といつから使っているか分からぬ茶碗に白米。食べ終わって少ししたら館内を散歩して寄り道した挙句、焦って仕事に出かける準備、もちろん自分にしか着れないコーディネートでスイッチ切り替えて豪邸を出る。

昼飯はそんな格好でラーメンかっ込んで一服がてらの3rd wave系のスタンドコーヒーで極上のルワンダを嗜む。

夜になれば社交場でダンスを踊り、足を間違えてもウィンクで誤魔化して談笑を楽しむ。ディナーはいつだって異国の雰囲気が漂う個室で旧友と世間話、そして豪邸に着けば「今日もなにかが足りなかった」とため息を一つ。大きな敷地のホコリは増えていくばかり。

 

便利になるということが不便になるということなら、こんな不幸せなことはない。昭和は憧れだったりヒーローがいたのかもしれないけど、少なくとも平成にヒーローはいなかった。なれないものがなるんじゃないかとなり、会えないが会えるようになった。もう誰もユートピアには興味がないんだ。そうしてユートピアは未開の遺跡になって、そのままその神秘は弄ばれる。たがためにを連呼するMr.ChildrenでさえもうMr.Childrenではないのかも。

 

自分の話ではあるけれど、ソロとしての音楽制作を始めてプロジェクトはもう数年が経とうとしてる。時代にずいぶん流され、その内容はあっち行ってはこっち行ってでいろんな記憶に足跡を残した。それでもざっと聴いてみると自分だなーと思うのは、こんな時代のオリジナルのあり方なのだろうか。

 

流行り廃りを気にしながらも、結局何かは変わっていないというのを残されたもので確認して言い聞かせる。そろそろまとめに入ってもいいんじゃないかというところでまた、ペルシャ絨毯の上でダージリンに想いを寄せる。いつになったら四畳半の幸せを手に入れられるのか、なんて考えながら今日もまた広大な敷地で足踏みをするのだと思う。

それでも自分の音楽は辞めようとは思わないのだから、こりゃまた救いようがないったらありゃしない。

 

f:id:kgygkw:20190921232734j:image