Yuya Kumagaiのオフィシャルなブログ

ギタリストやカメラマンやロマンチストなどなどやってる熊谷勇哉による何気無いブログ。

Dejavu

季節の変わり目というのは誰のものでもないんだよ。

どんなにSNSが発達しても、表に出ているのは春夏秋冬。意外と大雑把な生き物だ。どんなものでもそうだけれど、変化は僕らを待ってはくれない。だけど僕らはその変化を愛おしく、そして儚く感じる。もう同じ景色は二度と訪れやしないのに、どこかで期待してしまう。ああ、あの時と、、、同じではないと分かっていても同じだと言い聞かせる。

 

これで34回目の「あの時と同じ」が更新されました。

添えられたリンクに飛んだらそこにはまさに「あの時と同じ」のものだった。おかしいな、同じわけはないのにな、と首を傾げていると案内人はこう言った。

バックナンバーは揃えてありますので、こちらからご確認ください。

言われるがままにボタンを押すとそこには歴代の「あの時」がずらっと並べられていた。真空パックに保管されたそれらは、開けてしまえば失われそうだったのでそのまま手にとって見ることにした。しかし、物によっては開封しなければはっきり見ることができないくらい曇っていたりして、何となく気になってしまった。情報を見ても所々文字化けしていて正確な情報は得られなかった。

他の「あの時と同じ」はあるのかと尋ねると、

それはあなた次第で我々がご用意できるか決まります。また、バックナンバーをご用意はできますが、復元には時間がかかります。

こんなご時世にそんな雑なことあるのか、仕事しろ仕事しろ、と内心思っていると、先程まで見ていた「あの時と同じ」が増えているではないか。

不思議なことに、どれがどれだかちっとも思い出せないでいる。おそらく先程手にとったものはこれなんだけれども、いまいちこれじゃない気がしてるし、時系列も変わっている気がする。

お気づきかと思いますが、こちらのシステムはあなた自身でその都度バックナンバーが変化しております。ですので、確かめたいことがあったらあなた自身でどうにかして頂くしかないのです。

サービスには含まれていないんですか?

申し訳ございません。サービスという概念はうちでは取り扱っておりませんので。

ちょっと言ってることがあんまり分からないのですが、、、。まあそういうのはやってないってことですね。

なんて酷い接客だ、概念がないとか普通言うか、言い過ぎだと思いながらも、その横でバックナンバーは減ったり増えたりしている。とにかく分かりそうなものを開封してみようと鮮明な「あの時と同じ」を一つ開封した。

 

 

あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。

開封した瞬間にまさに「あの時と同じ」匂いと景色、そして記憶が揺さぶられてその場で立ち尽くしていたようだった。

ただ、開封直後から今までの記憶は思い出せない。

如何でしたでしょうか。これがあなたの「あの時と同じ」です。

僕は案内人の言葉をうまく返せず黙ってしまった。何も覚えていないし、最初の一瞬だけだった。ここは何の施設かも分からないけれど、とにかく懐かしくて感傷的でそれでいて愛しい気持ちでいっぱいだった。

すみません、今日はこの辺で帰ります。

なんともふに落ちない気持ちでそのまま施設を出ると、そこは自分の部屋だった。

入ったドアを開けてみてもそこはいつもの玄関で、施設はそこに無かった。

気付けば夕方、外は急に涼しさが増して、赤紫に燃え上がる雲を見つけてふと、あの時と同じだなと夕空に呟くのであった。

 

 

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昇龍拳が未だに当たらない

物心ついた時からスーパーファミコンは家にあった。

ソフトは殆どが説明書が無くて、その中からストリートファイターⅡをがむしゃらにやり続けてはベガが倒せなくて、必死に攻撃のかわし方を探した。それでもやはりベガは強いのでやってくうちに避けるタイミングを嫌でも掴んでくる。するとどっからか説明書が出てきてここでガードの仕方を知り、おまけにコマンドというのが存在するというのも分かった。最初から色々できるんじゃんと思った僕はコマンドのマスターをする為、技の練習に勤しんだ。

格闘ゲームは基本的にライフという概念がないからHPがなくなったらおしまい。痺れる闘いに明け暮れた。

自分の記憶の中ではいつからスーパーファミコンをやらなくなってしまったか覚えていない。きっと何となく満足してしまったのだろう。気付けば世の中はゲームボーイカラーが発売されて、僕はイエローのそれを手にしていた。

世は大ポケモン時代、空前絶後の大ブーム。

勿論一番最初の映画、ミュウツーの逆襲は見に行った。記憶に残ってるシーンは、冒頭でカイリューが出てくるのと、なんか悪そうなコピーポケモン達と、やっぱり一番鮮明なのはサトシが固まって動かなくなってしまう所。その当時はポケモンとコピーポケモンの涙がなんとなくわかっていて悲しかったけど、今見たらめちゃくちゃ泣いてしまうんだろうな。

ゲームが大流行している中、あのシーンはとても考えさせられるものだったと今思えばすごい事だなと。

結局ポケモンシリーズはリメイクの緑赤盤までやったのだけれど、それ以外のゲームキューブ以降は友達の家でやる以外にあまりやる機会もなくPlayStation2で盛り上がっていた。とは言ったものの気晴らしで行う様なくらいでしかやらなかった、あまり興味がなかったのである。

 

気が付けば、今まで使っていたケータイと呼ばれるものはスマホの登場でガラパゴスケータイと呼ばれ、圧倒的に時代が変わったことを決め付けられた。ケータイと呼ぶ人はますます減り、今じゃスマホと呼ぶ人しかいなくなった。「スマホ」という言葉を使うのに利権が発生してしまったら、スマホ界のJASRACがめちゃめちゃ悪儲けしてしまうのだろうな。いい商売じゃないか(全く良くない)。

そんな時代にスマホアプリは急に加速して、ハードウェアが姿を消し始め、最終的にオンラインで全てが行われる様になった。なんならVRと呼ばれる現実世界との動きが連携したヴァーチャル世界で遊ぶことも可能になっている。

もうほとんどの人はディスクやらを手にする機会が減ってしまった。グラフィックも美しく、お金を掛けなくても誰でもゲームが作れて商売ができる時代、幅が広がったけれど何となく寂しさがだけが僕の中に残った。

 

そういえば、最近友人の結婚パーティーに参加した。旧友たちと談笑していると昔の話題になった。

話しているうちに僕の中の歴史年表は少し塗り替えられ、笑えることもショックなことも全て時効になったであろう今、思いっきり突きつけられた。

僕は自分の話題なのに全く知らなかったのである。思わず、えー言ってよ〜と口に出してしまったけれど、そういう事ほど誰も言ってはくれないものだと分かっていたので、空っぽの言葉が床に音もなく転がり落ちた。

自分の年表は誰かによって作り上げられる。自分では全て補えないばかりか、年表があるつもりになっていたし、誰かによっての僕の歴史的事実と偶然一致しない限り完成する事もない。

 

誰かに迷惑をかけない様に生きる、というのは結局のところ自分自身の歴史において重大な失敗を犯さない為という一面があると思う。いい行いを行う事でエクストラステージに進出できる、でも人生はそう簡単に上手くいくものではないというのも人は熟知している。

人生は、我々にとってはシナリオのないゲームであり、神様かなんかが操る運命で既に決まってるシナリオ内でクエストするゲームでもある。ああ、全く親切じゃない。

アイテムを集めようにも集まらないし、コインだってなかなか手に入らない。一生ストリートファイターでいなきゃいけない。あらゆるコマンドを駆使できなければ退屈するし、何度でもボス戦をこなさなければいけない。ただ、自分で難易度を設定できるという点では一緒なのかもしれない。

 

説明書を読まないことがカッコイイと思う様になって二十数年、初めて気付くことも間違いも全て同じように迫ってくる。自分で塗り替えなきゃいけないのは骨が折れるけれど、同じくらいあなたもゲームをこなしている。は歳をとったって負けないぞという思いはまだ丸みを帯びてはくれていない。

 

未だにベガと戦い続けている。

そろそろ勝ててもおかしくないのになーとぼやきながら、小さな呟きがため息と共にこの世界のどこかに誰にも気づかれることもなく転がっていくのが目に入った。

ああ、よそ見なんてするからまたベガにやられそうになってしまったじゃないか。

 

こうやってまた一からゲームを始めていくのだろう。

 

 

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嵐の夜に

嵐の夜、アメはずっと叫んでいるし、カゼは喧嘩を売りに来ているしいよいよ世も末だ。これじゃあ商売になりゃしねぇと店を閉める者がほとんどだった。こういう時に限ってタイヨウはなんもしちゃくれはしない。神様仏様云々カンヌン言ってる人は皆そう呟く。

飛行機に乗って雲の上を漂っていると、元気に光ってるタイヨウはそこにいた。なんだ、お前は今日も仕事してんのか、忙しいやつだな、飛行機に乗った人々は皆んな口を揃えて言った。

しかし地上へ降りればアメカゼのデモ隊による凄まじい暴動で誰もが悲鳴をあげた。するとどうだろう、我こそは生き延びてやると言わんばかりに食料を買っていき、そしてバリケードのための養生テープを量産買い込んでは侵入経路を遮断していった。

街中は暴動以外の音は一切せず、時たま現れる一般人に出会えば警戒され、正当防衛されそうになる。家に帰らなければ、、、そう感じたので彼らを避けながらもなんとか家の手前まで来た。

 

そこにはアメカゼに晒されまくったジハンキが独りで立っていた。助けてやろうとお金を差し出すとお礼に一本の缶をくれた。

こんなになってもお前は帰らないのかい?

ええ、私はこうする事でしか誰かを幸せに出来ないんです。こんな時だからこそこうさせてください。

こんな時だからって、お前は少々頭がいかれちまったんだな。ウリアゲってのに脅されてるんだろ?あいつらも今日ばかりは何もしちゃいないんだから心配するな。それにお前はいつも些細な幸せを人に与えてる。

いえ、それをし続けることをやめてはいけないのです。脅されているのではなく、義務なのです。これが私の仕事なのです。そっとしておいてください。多少の痛みなら耐えられるので気にしないでください。

彼の弁明はとても悲しくなった。確かにお前はそれが仕事だし、義務ではあるけど、こんな暴動が起きている時にまでずっと立ち続けているなんてこっちまで淋しい気持ちになる。

デモ隊の暴動が加速する中、叫び声と物が壊される音の中で何食わぬ顔をしてそこに居るジハンキがなんだかもの悲しかった。

 

コンビニに行けば閑散としていて、辺りは人の気配すらない。ガスコンロも全て売り切れていて、きっとこれでアメカゼと交戦するんだろうな。飲料も無くなっていた。

自分で目先の自分の身を守ることは得意な生き物だ。少し先になれば前のことは忘れてまた無防備になる。自分たちはまだ生かしてもらえると思っているのだろう。

今回のデモだって計画的に行われた。規模感も勢力も全て提示した上でいついつ暴動起こしますと告知までしていてくれていたのに我々はこれだ。何かする人の方が少ない。無知が悪いのではない、なんとなくでいつもと同じだろうというのが自分を苦しめる。

日常の些細なことだって全ては些細なものから大きなものまで困難で溢れているのに、我々は鈍感なのである。

 

もうすぐで家に着きそうだというのに後ろからカゼになぎ倒され、コンクリートに打ち付けられた。

こんな時に外に出ているのが悪いんだ、誰だか知らんけど痛い目にあってもらうよ、カゼは告げた。

やつに負けじと立ち上がり家がばれないように少し迂回して巻いた。もう少しでやられるところだった。するとアメが急に叫び出し始めた。

お前はもう家には帰れないさ、玄関の前に湖を作っておいた、帰りたければ泳いで帰るしかないさ。

デモ隊に包囲されていることを知ったからには何が何でも帰って隠れるしかないとおもい、泣きそうになりながらも恐怖と共にただひたすらに湖を泳いだ。

気温は十何度、水温が熱を急速に奪う。肩まで浸かるほどの湖、その端まで泳ぐのに途方に暮れてしまいそうだった。その間も湖はかさを増し、溢れ出たアマミズの流れでうず潮が発生した。手足はマヒしてきて段々動かなくなっていて、このままでは本当に流されて死んでしまう、死に物狂いで岸を目指した。

なんとか岸にたどり着いた時、息絶えだえになりながら向こう岸を見つめると、遠くにあのジハンキが見えた。あいつは暗がりで明かりを発し続けていた。

明日もあいつはあそこにいるのだろうかと、自分の非力さや浅ましさと、少しの羨ましさを悔いた。

 

しかし、ボロボロになりながらもやっと着いた玄関のドアを開ければそこは日常だった。

点けっぱなしのテレビ、食べ終わった後の食器が机に並んだまま、気付いたら服は濡れていなかった。

ソファにつくと今日のことを思い出して笑ってしまった。

今日はデモの日だったはず、とチャンネルを変えても変えても何もそのことは放送されていなかった。

外は暴動の音は一切聴こえない。隙間風の音が聴こえるだけだった。

 

どういうことか理解できないまま数日が経ち、タイヨウが自分だけに喋りかけてきた。

この前は大変だったね。でも君は鈍感すぎるよ。その日は台風の影響で雨や風がものすごかったんだ。でも、本当に君は鈍感なんだね。

 

今日もそこには日常が訪れていた。

嵐の夜も私にとっては日常だった、はず。

そう、普通の日常だった、はず。

 

 

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愛論

良いものとの出会いは人生を急激に加速させる。それは例えお金にならなくとも人生の財産となる。

世の中は金か愛かなんていう人もいるけど、僕は知ってる、そんなことを言う人達は金も愛もどっちも知っちゃいない事を。

僕はロックを聴く、君がロックを聴いていなくても。僕は薔薇の花が好きだ、あなたがマリーゴールドが好きだったとしても。そんなことは僕の人生にとっちゃなんの障壁にもならない。

 

愛されたい、ということの総意は人が生きているうちに満たされることはない。

僕らが愛を叫ぶ、の愛とは少し違って、愛されたいことの全ては自分の不完全さであったり、空しさであったり、人は皆それを騙し騙しで共に生きている。

死ぬまで自分の不完全さに悩まされ、それでいてそれが愛しく感じる。

 

「誰かを愛すことだって本当はとても簡単だ」って好きな人が言ってた。それはふと思い出して最近になってその意味が少し分かるようになってきた。いや、わかるような気がするってのが近い。

死ぬまでワクワクしたいわーって漠然と感じてた頃とは違って、考えることも増えて、時間もなくなっていくし、とにかくなんでも現実味を帯びてきている。それでもその気持ちを諦められないし、大きく変わらぬ毎日に期待する。もう少しだけ、もう少しだけと少しのわがままを添えて。

 

僕らはいつまで経っても学べない。欲望というのはすべてのものに勝る。だからこそ真に純愛など存在しないはずなのである。ドラマの中でも描かれるように山あり谷あり。

それでも譲れないものを持っている人が純愛の証を手に入れられるとしたら、僕らが思っているよりも我慢が必要だ。

どんなに憂いでも、どんなに幸福感に満たされてもお金は増えやしないし必要以上に減ることもない。

愛はどうだろうか。憂いでも幸福感に満たされてもその人にとっての愛の形は変わらないんじゃないか。誰かにとっての愛は歪んでいて、誰かにとっての愛は至上のものなんだから、そりゃ捉えようもないけれど、当人が一番分かっているし、おそらく本人的には全く分かっていない。

愛に関わらず、みんな同じように分かってはいないのだと思う。

 

全ての愛に賛美を。

愛に価値の差なんてあるはずないし、ましてやそれぞれの愛はただ一つだけなのだと自分は信じてやまない。なんなら自分自身を一番愛しているし、あなたにもそうあってほしいと少しのわがままを添えて。愛をLoveではなくてyouでも日常でも自分自身とでも訳したっていいじゃないか、自分の人生が豊かになるのならば。

 

 

全ての愛に賛美を。

 

 

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帰り道のエンドロール

日曜日の夜。繁華街は人でごった返し、今だけは終わらないでというような顔でみんな幸せそうだ。

そんな僕は楽器を背負いながら駅に黙々と向かっていると、誰かもわからない人の匂いがふんわりと鼻先を横切る。でも気づいた頃にはもう別の人の匂いが迫ってきた。

そういえば、都会の匂いは色々一緒になってしまって臭いなって思ってたのに今日に限ってはそれぞれの匂いがわかったのは、すれ違う度に見るあの幸せそうな顔に何か影響されたからなのか。

とにかく、無数の匂いが帰り道の僕のエンドロールになったような気がした。

 

昔好きだった子の匂いは案外覚えている。しばらく会わないうちに記憶の中で強くなっては、もう最初の形を忘れてしまった。果たしてそれがその子のものなのかはもう分からなくなっているけれど、会えば思い出すのだろうか。いや、多分だけど、あーこれこれってなって思い出したフリをするので精一杯になるのだろう。

匂いのしない人というのもいる。単に覚えていないだけだろうと思ったら意外とそうでもなくて、本当にその匂いに気付けなかっただけなのかもしれない。不思議なことにその人自身の事は良く覚えてる。

マリリンモンローはシャネルの5番を身に纏って寝ていたらしいけど、匂いっていうのはそんな感じでその人自身を表すものではないのかもしれない。

 

場面によって自分の匂いは変わるのだろうか。すれ違う人たちの顔はきっと朝になったらまた違うだろうし、繁華街の人々の匂いに包まれながら楽しんだらそれはやはり本来のその人の匂いではないかも知れない。

僕は僕だし、あなたはあなた、かもしれないけど、そんな事は自分じゃ知ることが出来ない。誰かに気付かれて誰かに影響されて、例えそれが決めつけられたことだとしても、それが知らない間に自分になっていくんじゃないのだろうか。

 

漠然とした記憶と漠然とした日常と、交差する人々のメロディ。

嗅ぎつけては見失って、記憶に残っては変わってゆく。僕の匂いは誰かに気付かれているのだろうかと歩きながら思いを馳せる。

 

歩いていけば歩く程に無数の匂いが変わるがわる挨拶をしてくる。今日は突然の挨拶も快く受け入れられるし何よりエモーションな気分になる。どこか懐かしく、人の情愛を少し感じる。今日だけの幸せをお裾分けしてもらった気分だった。

もう、自分の匂いが誰かに気付いてもらえているかなんて早々にどうだって良くなっていた。雰囲気にいつまでものまれていたいけれど、僕には僕の時間があって、あなたにはあなたの時間があると考えたりなんかして、なんとなく寂しい考え方に身を任せてしまうもんなんだなーとふんわりした自戒があった。いつだってあんな顔をしながら帰りたいものだと気付かされた。

 

人は匂いを知っているフリをするのがきっと得意だ。こんなにも漠然としたものを決めつけて、大まかに全てをまとめて考える、さっきまでの自分の様に。若いカップルも、飲み歩いている社会人も、それぞれの青の時の姿があって、顔があって、匂いがある。きっとすれ違った人たちの多くは分かっているふりをしてその先の飲み屋で気にせずに楽しむ。

 

早朝の繁華街にはコンクリートのベッドで無造作に寝ている人が見受けられるが、そんな人たちの姿というのは酷く切なげで情けなくて、それでいて人間ぽくて嫌いじゃない。きっと昨晩は楽しんだのだろうなとわかるくらいに酔っ払い潰れている。

ただ、そんな時の人たちには匂いがない。嗅いだ嗅いでない関係なく何かを失った瞬間の剥製とでも言えるくらいに、もう昨日のあなたはいないのだ。記憶と楽しく飲んでいた友人はもうその時には隣にいないし、ましてや不健康にもなる。

そんな状況だけれど、起きてしまえば意外と自分自身の匂いがなくなっていることに気付かない。まるで誰かがいないと存在しないようなものなのではないかと思うくらいに。

路上で起きた後、頻りに状況を確認し、まるでタイムスリップしてきたかのように身元を確認する。大丈夫です、生きているし、あなたの思う世界にはいるっちゃいます。ただ、あなたのフリだけはしない方がいいですよ。あとで本当の自分を取り戻した時に混乱してしまいます。

大概は後悔してしまうからなーと僕は横を通り過ぎた。

 

そんなこんなで駅に着いてからというものの、人で溢れかえった構内でまたいつもの匂いに戻った。繁華街は今日も人の中の何かが弾けたような音で溢れかえっていたのに、僕はそこの中でそれを聴いているだけだった。

魔法が解けてしまったのだとしたら、今日の出来事はちょっぴり幸せな瞬間だったのかも知れないと、今になって思い出してほころぶのであった。

 

突然終わってしまったエンドロールの先に、また違ったエピローグがそこにはたくさん溢れている。

 

 

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ロマンチス党のなれ果て

まだ見ぬ景色を見ていたいが為に生きる事に社会はそう優しくない。

先駆者たちは奔走し、確立し、そして維持する為に発展をさせ、そして飽和に向かい、また真新しい需要に向き合わなければならない。その中で全てが平等にある事は厳しく、差が生まれる事によって担保される。それを人々は失う事だと思っているが、我々は失われることなんてこれっぽっちも無かった。各々のみたい景色は所詮幻想に過ぎないのだから。それはまだ見ぬものだからではなく、幻想を抱かねばそこに向けた熱量は必要以上にならないからである。

 

我々はロマンが足りていない。

生き方が急速に変化している中で、どうも許される事自体が昔よりも少し少ない気がするし、何よりも大半の人々は煽動されている事で生きている実感を得ている気がする、それは僕も然り。

2020年という字面を使用するだけで中小企業は大きな会社から問題にされるし、並外れた努力の末の代表選手に対しては同じ人間だと思ってるし、何よりもエンタメだと思っている。だがそれでいいのかもしれない。

2020年になれば、暮らしはどうこうなんてのはみんなどうだっていいと、いつだってそんな顔をする。皆人事の思いで暮らし、今日も疲れた体をお酒に溶かして、本当は対して深くも浅くもない眠りにつく。それでいい、そうするしかないのだから。

 

小さなまだ見ぬ景色はいつだって自分の隣にいる。隣人を愛せるだけの余白を人々は持ち合わせている。ただそれが己という存在を動かすだけのエネルギーになり得ないだけで、いつだってそうする事はできるのである。

でも実際はどうだろう。暮らすには時間が短すぎる、と言ってしまえば大袈裟ではあるけれど、24時間が25時間になろうが、48時間になろうが、僕らは時という概念には抗えないし、慣れてしまえばもっと欲しくなる。そう、愚かな生き物であることを忘れてはならない。そして、知恵をもっと評価すべきなのである。

 

ロマンが足りていないのだとしたら、誰かがロマンチス党を結成するのを待っては世が廃るので、己の深くに野望を秘めて暮らしたい。だがやはりスーパーマンを作り出しては何かあれば罪人としてしまい、それをただひたすら繰り返すこの常識に嫌気がさすのが常。

ああ、主よ、我々はいつになったら隣人を、そして隣人の隣人を愛せるようになれるのでしょうか、と目の前で跪く若者に出会う。

明日は我が身ですよ、あなたがしていることは誰にも言ってはいけません。でないとレイワに捕らえられてしまいます。さあ、何も言わずに去って行きなさい。さあ、早く。

その若者は込み上げるものを堪えながら静かに立ち上がり、自前のタバコに火をつけて闇に消えて行った。

僕はそれをただ見届けて、残り香を感じながらも、レイワに告げ口をするボクシを横目にこの記事を書く。

 

今やロマンチス党は秘密結社として活動を緩やかに行なっているらしいが、誰ももう抗えないところまで来ているのだとしたら世も末だとぼやきたくなる。

そんなことはないと思いたいけれど、最近はツゲグチという私立探偵が電脳世界で蔓延っているそうで、どうも皆同調がセオリーになっているそうで、これはなかなか動きが鈍るのもよく分かる。

彼らは存在するけれど、ロマンが今も圧倒的に足りていない。

愛を伝える手段は愛のカクテルが作れるバーテンダーのみが法律で許されていて、今じゃなりたい職業ナンバーワン。それでも愛のカクテルという調合が出来るだけで本当の愛はそこにない。

薔薇は花屋で買えるけれど、今や購入特典に愛が付いてこないからと殆どの人が買わなくなってしまった。夜景の見えるレストランでサプライズケーキを頼むカップルは法律で罰せられる始末。

あの頃は良かったなとぼやくのは歳上の人だけじゃなくなってしまった。

 

それでもロマンを求められないのはロマンが必要ないからか、はたまた世の流れのせいか。それは公言できないのでここでは控えておく。

もうすぐ終わりの時間がやってくるので僕は独房からこの手紙を誰かに送りたいと思う。

受け取った誰かはこれは真実だとしんじてもかまわないし、ジョークだと受け取ってもいい。ただ幸いこれを書いている今日はエイプリルフールではないから、選ぶ余地が与えられる。

さて、僕は窓からこれを紙飛行機にして遠くの何処かまで飛ばそうかと思う。

 

ロマンチストに幸あれ。

 

 

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水槽の肴

人で溢れかえったクラブの端で、会話の断片が永続的に聞こえてくる。置き去りになっているわけでもなく、一人でいるのを好んでいるわけでもない。ただそこに居合わせただけの何者かでしかない。

とりわけ悲しいわけでもなく、一人になれた喜びがあるわけでもなく、ただ全てが背景になっていくのを感じる。ただ、そこに居合わせてしまっただけの何者かなのである。

一杯のドリンクを途中までちびちび飲んでいたら、気づけばあそこの席にいた人たちが変わっていた。またちびちび飲んでいると、今度はこっちの席の人が変わっていた。同じとこに居続けていたのは僕だけだった。

 

目の前に大きな水槽があるのに気付いた。綺麗に彩られた水草や岩がゴージャスに思わせた。

大きな水槽の内側に暮らしていると魚たちは外の暮らしに目がいくのだろうか。毎日同じルーティーンになることを同じだと思っているのだろうか。我々よりも時の流れが早くて全てが変化に感じられるのだろうか。

となりの水槽は青く見えるのだろうか。

 

時々彼らは近寄ってきてはエサを欲していたり、種類によっては本能なのか食べるそぶりをする。ガラス越しに求められる欲求は僕らでは解決できないと手放せば、何事もなかったかのように諦めてあっちへ行ってしまう。

もし、例えば、多分、きっと、そんな言葉に引き寄せられていてはランチのフィッシュフレークはふやけたものを食べることになるんだろう。彼らは重々わかっているのだろう。全ては空腹のため、それ以上でもなければそれ以下でもない。

 

ある日水槽を掃除するタニシが自分だけが外を覗ける場所を作るためにせっせと動いた。これでどうだと何度もチャレンジするが、結果は同じだった。これ以上動くと自分がどうにかなってしまうと思ったタニシは水槽で生きることを諦めてフィッシュフレークを食べるために鍛え始めた。

 

タニシは魚になるべくまずは壁にはいつくばるのをやめた。なるべく自由に動くためだ。しかしそう簡単に出来るわけなかった。なので、より早く移動できるように相当動かした。

魚には劣るが、移動はタニシ1になれた。

タニシ1の移動速度は相当労力が必要なので、その分水槽が綺麗になっていくのを感じたタニシは、今の俺がいるから比較的綺麗でいられんだぞ、と自尊心を持つようになった。たしかに隣の水槽よりは青い。

ただ、まだまだタニシなのでもっと魚になるために泳げるようになろうと決心する。

するとどうだろうか、まるでクリオネのようにじんわりと水の中を動いていくではないか。尋常じゃない筋力を手に入れたためにタニシの枠をはみ出ていった。

だがまだまだエサを取り合うほどの力がないタニシは次なる作戦を決行する。

体を大きくすればあの小魚には勝てるんじゃないかと思いつく。だがエサの取り合いは壮絶で彼らでさえもエサを確保するのが困難だったようで、疲れ切った小魚にタニシは問いかけた。

「どうしてお前らはそんなにフィッシュフレークを食べ争うんだ。仲良くやろうじゃないか。」すると小魚は「仲良くなって食べたいだけじゃないのか?お前こそ最近コソコソ俺らの真似をしているそうじゃないか。」、「泳いで何が悪いんだ。こっちはな、水槽綺麗にしながら鍛えてんだ。ありがたみ足りてないんじゃないの?」、小魚は呆れてしまい仲間の方に行ってしまった。

 

次の日からタニシはタニシと言わんばかりに小魚がエサを食い尽くす。郷に従えなかった末路はとんでもなく茨の道で、また水槽を綺麗にするしかなくなった。ただ、この尋常じゃない筋肉を持て余すのはなにか勿体ない気がして、ありとあらゆる藻を食べるようになった。

すると驚くべきことが起こった。

藻を食べ過ぎて光合成をし始めた。

最初は何が何だかわからなかったが、これが人間のいう光合成なのだとしたらもしかしたら食べなくたってやっていけるかもしれないと思い、遂にはエサを狙うのもやめて、すっかり大人しくなった。

ただ、じっとしているのはつまらないので、筋力を維持しつつ、光をなるべく吸収し、それでいて清掃を完璧に行った。

魚たちは年老いていき、それでも同じルーティンを行い続けてた。

 

ある日、一匹の魚が水面に浮かんでいるのを見つけた。水槽の魚たちは今日も変わらず泳いでいる。

タニシは浮かんでいる魚に近づいて話しかけた。何も返してはくれなかった。急に寂しく悲しい気持ちに溢れ、でも目の前で何が起こっているのかはわからなかった。

次の日も彼はまだずっと浮かんだままだった。

同じルーティーンを続けられなくなったものは次はこうなってしまう、そう感じたタニシは急に焦燥感に襲われた。

 

そうこうしているうちに顔馴染みの魚たちは減っていき最後にはタニシだけになってしまった。

いよいよ、同じ運命を辿るのだと。ぷかぷか浮かぶようになったら人間がどっかに運んでいってしまって、行方不明になる。どんなに抗っても奴らは毎回運んでいくし、まあもう抗うことも誰もしていなかったのだけれど、1人になってなんとなく気付いた。

 

今までこの水槽で暮らしてたけど、たくさんの魚で溢れかえったこの水槽の端で、会話の断片を毎日同じように聞いてきた気がする。

置き去りになっているわけでもなく、一人でいるのを好んでいるわけでもない。ただそこに居合わせただけの何者かでしかなかった。

とりわけ悲しいわけでもなく、一人になれた喜びがあるわけでもなく、ただ全てが背景になっていくのを感じる。ただ、そこに居合わせてしまっただけの何者かなのかもしれない。

 

そろそろ飲み終わりそうなドリンクを横目に、楽しそうに帰っていく客を眺める。楽しい、それだけで十分だから、きっと自分も楽しかった。

 

いつだって自分は自分でしかいられないから、今日はそこに居合わせてしまっただけと。

 

 

 

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