Yuya Kumagaiのオフィシャルなブログ

ギタリストやカメラマンやロマンチストなどなどやってる熊谷勇哉による何気無いブログ。

天使と悪魔

今日はいい日だったなと思う時っていうのはきっと幸せを噛み締めているんだけど、心のどこかで早く切り替えたい気持ちが沸き起こる。

心の中で天使か悪魔かは分からないけれど、もう一人の僕が静かに語りかけてくる。どんなにハードにタイトに暮らしてても怠けたい気持ちは顔をしっかり覗かせてくるので出来ればそいつが遠くの曲がり角を曲がる前に巻かなきゃいけない。

とはいえ、噛み締める気持ちは無ければもっと悲惨で、切り替えがとにかく大事だと思ってる。

 

天使と悪魔の僕が現れるのはいつだって醜い姿になっている時だと思う。愛したいものを愛し、守るものを守る、そういったことが素直にできない時、自分の未熟さを思い知る。

バナナマンの日村さんが最近よく怒ってしまう(イラっとしてしまうだったか、、、?)というのに対して、設楽さんがそれはそのことに対する心のストックが無いからというのがたまに思い出されるのだけど、僕はアウトが怒りではなく自身に対する懐疑に向かっているだけなのかもしれない。

 

天使と悪魔っていうのはずいぶん都合のいい存在で、そいつらに任せてしまえば大体のことが面白おかしくなる。あいつらはどうも適当で思いっきりがいいし、時にうだうだしていて僕が思いっきりよくなれる。

漫画のように突然現れては、こっちにしてしまえと悪魔が囁き、こっちにしてはダメよだって○○だぞって天使が入ってくる。

 

 

もうこの時点で僕は面倒くさくなる。

 

 

そうなんだよ面倒くさい。

面白いくらいにあいつらは助言してくる。

ただただお節介だし、そんなん自分で決めるわってなるだけでなく、何を悩んでいたのかってなる。そこで天使と悪魔を召喚している自分も面倒くさいって思うし、尚更サッパリした判断になる。

全て3秒の出来事である。

 

ダンブラウンの描いた世界観に引き摺り込んでもまた面白いけれど、それにはダビンチが必要になるからそれも面倒くさいし、渡航する面倒臭さもある。

段々と素直になっていった方が世の為人の為己の為になり、それが良いじゃんとなる。

今日の幸せは今日しか訪れない。だったらそれはちゃんと噛み締めて、忘れないように、そして欲にまみれず、精進料理を食す時のように旨味と感謝だけに想いを馳せて行けば良いじゃないか。雨にも負けず風にも負けず的な精神で暮らして行けたらと考え始めた時点で日は跨ぐ。

 

こうして明日が今日になってしまったらまた今日の幸せを見つけていこうと思うのがルーティンになりつつあるのは、この歳だからであろうか。

未だ夢の途中なのでまた眠りについてその続きを見に行きたい。

悪魔も天使も眠ってしまう間だけ、自分は自由になれるのだから。

 

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ユートピアに恋い焦がれて

Missy Elliottが1stAlbum「Supa Dupa Fly」を作る際に他の流行の音楽をシャットアウトした状態で制作したらしく、正確に言えばシャットアウトが出来る環境だったというのが大きかったそうだ。1997年リリースのこのアルバム、時代は携帯電話がようやく小型になってきて、インターネットもようやく世界規模になって普及が加速し始めたような時代。今聴けばあまり大きな違和感を感じはしないけれど、確かに相当面白い試みが行われていたんだなと思う。

 

今コンテンツも増えて個々が好きなものを手を取りやすくなって、そしてまた、好きなものをを手放し捨てることも容易になった。

ものが増えれば増えるほど使わないものは増えるし、大掃除すれば大概のものは捨てるか思い出に浸るか、そうやって塗り替えられていくのを無意識に行っていく。

同じようなコンテンツの中で小さな差を競合い、そうするとまたそれを取り入れたものでより小さな差を生み出し、気付けば違いなんて誰にも分からなくなってどれでもよくなる。

 

この頃“どれでもいい”が増えてる。憧れの生活も、食べるものだって、かわいいもかっこいいも、なんだって“どれでもいい”に溢れてる。

時代特有の匿名性が人々の一部を蝕んでいるというか、現実との境目に理由がないまま成ってしまっているという感じだろうか。そして外から見れば空しい事、も当の本人はそこそこ満たされているというのもまた救いようがない。

 

僕もまた沢山のものが何十箇所に溢れてる豪邸に住んでいるようなうちの1人で、これまた救いようがないなーと自分で思う。

ペルシャ絨毯の上で長いテーブルにロウソクのインテリア、高級な椅子が並ぶ中、朝食は味噌汁とパックの納豆といつから使っているか分からぬ茶碗に白米。食べ終わって少ししたら館内を散歩して寄り道した挙句、焦って仕事に出かける準備、もちろん自分にしか着れないコーディネートでスイッチ切り替えて豪邸を出る。

昼飯はそんな格好でラーメンかっ込んで一服がてらの3rd wave系のスタンドコーヒーで極上のルワンダを嗜む。

夜になれば社交場でダンスを踊り、足を間違えてもウィンクで誤魔化して談笑を楽しむ。ディナーはいつだって異国の雰囲気が漂う個室で旧友と世間話、そして豪邸に着けば「今日もなにかが足りなかった」とため息を一つ。大きな敷地のホコリは増えていくばかり。

 

便利になるということが不便になるということなら、こんな不幸せなことはない。昭和は憧れだったりヒーローがいたのかもしれないけど、少なくとも平成にヒーローはいなかった。なれないものがなるんじゃないかとなり、会えないが会えるようになった。もう誰もユートピアには興味がないんだ。そうしてユートピアは未開の遺跡になって、そのままその神秘は弄ばれる。たがためにを連呼するMr.ChildrenでさえもうMr.Childrenではないのかも。

 

自分の話ではあるけれど、ソロとしての音楽制作を始めてプロジェクトはもう数年が経とうとしてる。時代にずいぶん流され、その内容はあっち行ってはこっち行ってでいろんな記憶に足跡を残した。それでもざっと聴いてみると自分だなーと思うのは、こんな時代のオリジナルのあり方なのだろうか。

 

流行り廃りを気にしながらも、結局何かは変わっていないというのを残されたもので確認して言い聞かせる。そろそろまとめに入ってもいいんじゃないかというところでまた、ペルシャ絨毯の上でダージリンに想いを寄せる。いつになったら四畳半の幸せを手に入れられるのか、なんて考えながら今日もまた広大な敷地で足踏みをするのだと思う。

それでも自分の音楽は辞めようとは思わないのだから、こりゃまた救いようがないったらありゃしない。

 

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北海道の水は美味しい

気付きが連続する時期っていうのがあるんだけど、体感の時間経過が遅いと整理するのが大変。

久しぶりに書くけど、出来ればちゃんと書きたいけれど、まあつらつらと。

 

人間は視覚情報の多くをシャットアウトして対象のものを見ているようで見ていないというのをとある記事で見て、普段の見疲れというかそんな感覚はこれなんだろうなと感じた。

文章を見ると目まぐるしく脳内を駆け回る感覚、小さな画面から様々な人間の様々な吐露を様々な時間に見ているとそれは、誰に向けたものでもない途方にくれた言葉が亡者のように見えた。そんなものに心がチクリとして、良いものはそれとして受け入れ、だんだんと何かに囚われているような気がしてきてしまった。

我々は人生のうち睡眠で数年も使ってしまうし、今じゃケータイ電話にさらに数年を使っているし、そんな数年がそれ以外の数十年の一部に大きく影響しているというのが馬鹿馬鹿しく感じた。

それでも僕らは辞めることが出来ない。

 

先日同窓会に顔だして久々に会う旧友たちに「今何をやってる人なの?」と多く聞かれた。そりゃそうだ、今まで会えてもないし会おうともならなかった人たちが知ってるわけない。

どんなに頻繁にいろんなの更新してたって見ないもんは見ないし、広まらないものは広まらないし。何の為にやっているのかがあんまり分からなくなっているのも現状ではあるけど、とにかく今の自分のSNSの使い方はあてにならんのだなと思った。

早くMステのニューカマーみたいなコーナーに出るの楽しみにしてるよって言われた時に、今の自分は惑ってるのかもしれないなとも思った、そういう活動をしたいと思っている気持ちが強いだけに。

この半年間いろんな縁を形に残していきたいと思ってやってきたけれど、自分が何者かを自身に多々問いただしてしまっていたとふと思った。僕はただの音楽屋であるし、写真撮りになりたい写真撮りだし、コーヒー屋開きたいコーヒー好きになりたいコーヒー好きだし、僕自身がやりたいということは僕がちゃんとやらせてあげたい。ただそれだけ。その気持ちを忘れていってしまっていた気がする。

それでも何者かを探してしまうからこれも辞められないのだろう。

 

先日北海道に数日行ってきたのだけれど、Tokyo人は何かを失いつつあるのだと確信した。僕らは目まぐるしい小さな流行の変化を横目に変わりゆく街並みに慣れていき、それが世の主流だと無意識に勘違いをしているし、それでいいと思っている。まあ確かにそれでいいと思う、いや思っていた。

帯広の人々は皆人の心を持って人同士でコミュニケーションをとっていて、人生感じた。流行が隆起しては廃るこの大都市では多くの人々が何かを隠しているし、何かを愛しているふりをしているし、とにかくチャットのような会話が得意でコミュニケーションがとれないことが多い。札幌では小さな新宿というか、若者の活力と仕事帰りの社会人が混ざり合って物凄い活力を感じた。ただ、なんとなく平和な世界だった印象だった。北の地に行った数日間の居心地の良さを今も思い出してしまう。水の美味しさも。

このままでは自分の中の何かを辞めてしまう気がしてたことに気がついた。

 

 

忘備録としてしたためては、これもまたいつか観点が違うものになってしまうかもしれない。ただ、ネガティブなことではなく、気付きの連続であったということ、それだけが残ればいいと思った。北海道にまたいきたいな。

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